以前にこのブログでグローバル化について書いた時に、格差についても触れました。
ピケティ氏は「21世紀の資本」の中で、
資本主義では格差が拡大の傾向にあることを示しています。
また私自身が格差を縮小すべきと思う大きな理由としては、
将来的な資源の枯渇があります。
資源の枯渇は、以前に報道で約200年後と言われていた記憶がありますし、
ネットでの情報によれば、石油は約40~50年、天然ガスが約50~60年、
石炭が約150~170年、ウランは約100年とも言われています。
(参考)
枯渇する資源(ものづくりと資源・エネルギー) - 探究ノート|環境展望台:国立環境研究所 環境情報メディア
(資源の枯渇の時期については、上記の他に参考にしたページもあり、それぞれに時期の違いがあるため上記のような表現にしています。)
資源が枯渇した時に、代わりのエネルギー、
例えば再生可能エネルギーや自然を利用したエネルギーに移行できれば問題ないと思いますが、
こうした場合に私自身は楽観的なことを考えるのではなく、
最悪の事態を想定して備えた方が良いと思います。
では資源が枯渇して、代わりのエネルギーにスムーズに移行できない場合には、
どのようなことが想定されるでしょうか?
私自身はモノの値段が上がると考えています。
例えばガソリン代が上がれば、それだけ物を運ぶ費用がかかるようになりますので、
ガソリン代が上がることは、物価を押し上げる要因になると思います。
ですので資源が枯渇する時期が近づくにつれて、物価が上がると思いますが、
そうした時期に格差が大きいままだと、様々な犯罪が増えるなど社会不安が増す状況になると思います。
そのために資源が枯渇する時期に向けて、徐々に格差を縮小させていくべきではないか?
私自身はそんな風に考えています。
(もちろん今後の技術革新などで、資源の枯渇の時期が延びることは考えられますし、
スムーズに再生可能エネルギーなどに移行できるかもしれないのですが。)
また私自身はいつか枯渇する地下資源にエネルギーを頼っていれば、
人類の社会は継続することが不可能だと思いますので、
原発に依存するよりも再生可能エネルギーに、早い段階で舵(かじ)を切った方が良いとも思います。
ただ急激な変化は人の心や社会をきしませてしまう可能性もあると思いますので、
変化はゆるやかなものが望ましいとも思います。